(01/09/25@久留米[当時としては珍しかった、607編成のワンマン運用代走])
1963年製造の600形2次車。8000形投入に伴いワンマン改造された。ただし他の
甘木線用ワンマン車と異なり、大牟田線での増結・代走運用がメインであり
619編成同様、貫通幌やジャンパが残された。
2000年代に入り姿を見ることも少なくなってきたが、4連+607編成という
600形ならではの、西鉄では珍しい6両編成で急行代走を行うこともあった。
(01/12/09@西鉄大善寺駅)
2001年11月10日改正で花畑以南がワンマン化され、2連ワンマン車が再び大牟田まで
走るようになる。この後(時期不明)、619編成も前面の貫通幌が撤去されるが、
607編成はそのままだった。ただし、607編成も他の編成同様に甘木線運用に入る
ようになり、天神大牟田線宮の陣以北での営業運転はまず見られなかった。
(02/12/08@西鉄大善寺駅)
2003年3月に7050形第一陣が投入され運用を離脱。最終運用は2003年3月15日で、
なんと前面貫通幌を残していた仲間の619編成と併結、4連で所定7000形4連の
柳川→福岡(天神)→筑紫の普通運用(つまり7000形の朝の筑紫入庫運用)に入った。
607編成が貫通幌を残していたとはいえ600形2連の筑紫〜柳川送り込みは全て回送で
行っており、最後まで話題を提供し続ける編成であった。
車齢の高さがたたったか、あるいはワンマン専業車より走り込んでいたのか、
貝塚線転属はなくそのまま廃車となった。
目立たなかったが、最後まで個性の強い、隠れたエンターテイナーだった。
(03/03/16@西鉄筑紫車庫にて部品取り 許可を得て撮影)